平穏の片隅

哀しみをかかえて生きていく。

私、どう生きたいんだっけ。

 

ここ数日、胸騒ぎが続いている。

5月から生活習慣を変えた。夜は11時就寝、朝は5時起床。朝早起きした30分で散歩をして出勤の準備をするようにした。変えた理由は些細なもので、昨年の1年間でとても肥えたのでちょっとでも生活に運動を取り入れたかったからだ。だけどその習慣は私に合っていたらしく、無理なく6月まで続いた。その生活は心地よかった。初夏の少し肌寒い朝、短編小説の朗読やラジオ、好きな音楽なんかを聴きながら散歩する時間が好きだった。時折恋人も一緒に散歩した。そのときは歩いたことのない道を選択して近所を開拓した。30分はあっという間だった。

 

だけど。6月末から生活が乱れ始めた。こなしたらこなした分だけ降ってくる仕事。今の仕事が好きだとはいえ、次々と降りかかってくる仕事にいつのまにか溺れていた。夜9時半に帰宅して、朝は5時に起床して散歩ではなく持ち帰った仕事をする。休日も溜まった仕事を片付ける。そんな日が続いた。

それくらい。と思う人もいるだろう。

 

私にとってはそれくらいではなかった。

 

心のバランスが崩れると胸騒ぎが起きる。ソワソワしてしまう。

こういう風に生きたいんだっけ。

早く、どうにかしなければ。

 

 

 

真藤順丈『宝島』

 

 

祈るような気持ちで本を読んだことがあるか。

 

 

私は初めて祈るように本を読んだ。わくわくして手が止められないのとはちがう。どうか、どうか、と願いながら読み進めた。どうか、今の苦しくて悲しい状況から抜け出してほしいと、願いながら読み進めた。

 

この本は戦後の沖縄を舞台にした作品である。だから胸打つものがあったのも確かだ。私の故郷が、こんなに深い悲しみを抱えた土地だと、目を向けさせられた。気づいていなかったわけではない。小学校の頃から平和学習とか、両親の話なんかで、この土地がどんな土地なのか知っていた。だけどその歴史があまりに悲しくて、今の平和な状況からそんな酷い状況があまりに想像できなくて、考えることをやめていた。

 

沖縄の、透き通るほど青い空、島民の陽気さが詰め込まれたような眩しいくらい明るい海、生彩に満ちた歌声、アメリカの文化がチャンプルーされた華やかな街並み、そういったものばかり見てきた。

でもそればかりではいけないのだと思う。

 

 

私が祈るように読んでいたのは幼なじみたちの人間関係だ。人間関係は縁だから、本人たちが望まなくてもその関係が疎遠になることもある。長年一緒にいたって、ずっと一緒だと思っていたって、どんなに相手のことを考えていたって!

彼らの関係がどうにかこれ以上悪化しませんように、彼らがお互いを大切に思っている気持ちがどうにか伝わりますように、と思わず祈ってしまいながらページをめくった。

本の中の彼らが実在するなら今、おじいちゃんとおばあちゃんになっているはずである。

それを想像すると私は思わず祈らずにはいられない。

 

どうか、どうか神様。

 

 

朧げな月、穏やかな夜。

 

好きな言葉がある。「言葉使い」ということばだ。

それは、高校2年生のとき同級生が書いた意見文のタイトルだった。魔法使いは魔法を自在に操れる。私は言葉を自在に操る言葉使いになりたい、という内容だった。軽やかな足取りで若草色の風が教室に駆け込んできて心地よい。そんな穏やかな季節、沖縄ではうりずんと呼ばれる季節に彼女の意見文を聞いた。彼女の意見文はいつも優しい。日本国民から1円ずつ集めたら1億円集まるからこのお金で誰かを救えるんじゃないかなとかそういった類の。

彼女は誰にだって優しくて、穏やかで、英語が得意で、味のあるイラストを描くのが上手だった。彼女はまつげがとっても長くて私は何度か授業中に彼女の横顔を盗み見た。窓際の彼女はそこの席がなんだかわからないけどとても似合っていて、クルンと上を向いたまつげがとても綺麗だったのを覚えている。

 

連絡先も知らない就職先も知らない。けれど、次また会えたらあなたの優しさを尊敬しているということ、あなたの言葉が好きだったということ、窓際でぼんやりしていたあなたの涼しげな横顔も好きだったということを伝えたいとおもう、朧げな上弦の月を眺めながら。

f:id:kikze:20190515065843j:image

いらっしゃい、春!

 

春を迎えようと思った。

今日の関西は風が強くて、少し寒かった。突然、春を待つのではなくて、迎えにいこうと思った。

 

春のスカートを引っ張り出した。くすんだグリーンの、ロングスカート。30年ほど前、お母さんが独身で、先生になりたてのときに着ていたスカートだ。白いブラウスを合わせると一気に華やいだ。

靴も春仕様にした。

コートもトレンチコートにしちゃおうかなと思ったけれど、やっぱり寒かったのでノーカラーコートを羽織った。

「サクラ」というなまえのチークを少しだけ頬にのせた。

 

帰り道にお花屋さんに寄った。花束以外の、自分用の花を買うのは初めてだった。お店のおばあちゃんに「チューリップなんかどう?一輪でもかわいいわよ」と言われてチューリップを買うことにした。まだ蕾の、柔らかいけど弾けるように明るい太陽のような色の、チューリップだ。蕾が膨らんで花弁が開く姿を想像したら切なくなった。きっと、今以上にかわいい姿なのだろう。

花瓶が家になかったので、家中の容器にチューリップを挿してみて、1番チューリップのかわいさが映える容器を探した。デートの前に、1番似合う服を探してあれこれ着替えをしている気持ちになった。

それから、少し眠った。

 

目がさめると部屋はすっかり春だった。

チューリップが開花する頃、外も春が訪れているだろうか。

f:id:kikze:20190313215704j:image

センター試験、報われぬ恋、霜の降りた朝。

 

先日、2018年度の大学入試センター試験が行われた。

職業柄今年のセンター試験問題に目を通したのだが特に古文がとても面白かった。古文の内容を超訳すると以下のようになる。

 

狐が人間の姫君に一目惚れをしてしまう。狐は魅力的な男性に化けて姫君に求婚しようかと思うが、獣と人間が契りを交わすと人間が死んでしまうため、なかなか行動できない。恋い焦がれているうちに心も体も疲れていく。結ばれることのない恋だとわかっているけれどどうしても姫君の顔をみながら生きていきたい。そう思った狐は可愛らしい女の子に化けて侍女として姫君のお世話をするようになる。

狐と姫君は瞬く間に仲良くなっていった。ある日、ふたりでお話をしているときに「私のように想い人がいるのでしょう」という歌を狐が詠んだ。すると姫君は「えっ!恋ですか、誰なのです相手は」などと嬉しそうに言う。

 

 

出題されたのはここまで。『玉水物語』の一節だという。

 

報われない恋をしているすべての者たちの気持ちを代弁しているように感じられた。胸が針で刺されたように痛かった。

 

恋は、頭でわかっていても簡単に諦めることができないのだ。報われない恋でも、どうにかそばにいたいと願ってしまうのだ。相手の悪気ない一言に傷つけられるのだ。相手の幸せを願う気持ちと自分じゃ駄目なのだろうかという気持ちの狭間で引き裂かれそうになるのだ。

……報われない恋もあるのだ。

 

たとえ報われない恋だとしてもいつかは「思い出」になってしまう。あのときの、どうしようもなくて、激しい、切ない、感情を忘れてしまう。それがいいことかはわかんない。

ただ江國香織のこの言葉はすきだなと思う。

 

ボーイフレンドって素敵よね。

いるあいだは楽しいし、いなくなると気持ちいい。

   『流しのしたの骨』

 

 

 

湊かなえ『告白』

 

私は友だちが少ないので、いい本に出会ったときとか、いいことが起こったときとか、話す相手がほとんどいないのでとても困る。

最近、湊かなえの『告白』を読了したのだけどとてもよかったので感想を聞いてほしい。

 

『告白』をこれまで読まなかったのがすごく勿体無く感じるほど、読む手が止まらなくって、ワクワクしてゾクゾクしてページをめくった。

 

 

『告白』の特に面白かったところは2点にまとめるので、最後まで聞いてほしい、そしてあなたの『告白』の感想もぜひ聞かせてほしい。

 

まず1つ目。犯人が常人とはかけ離れた感情を持っていないところ。

物語は、ある殺人事件について色んな人が「告白」していくことで進んでいく。その中に犯人の告白もあるのだが、この犯人が抱いている感情が共感できるような、ありふれたものなのだ。私たちが抱えているこの寂しさとか切なさとか悲しさとか怒りとか。そういったものが膨らみすぎるとこんなことをしてしまうのかな、「今は」大丈夫なだけで、マイナスの感情に心が満ちてしまうと殺人を犯してしまうかもしれない。殺人は日常の些細な感情の延長線上に起こるんだ、ということが生々しく伝わってくる。そんな遠い存在のような犯人を身近に感じて面白かった。

 

2つ目は、なんが本当で誰が嘘をついているのかわからないところだ。先程述べたようにこの作品は色んな人の告白によって成り立っている。同じ事件を見ていても、それを見ている人間は同じ人間ではない。つまり、フィルター(脳)が一人一人違うということだ。フィルターが異なるということはフィルターを通して各々事件を理解していく、事件の解釈がいくつもあるということを意味する。

だから告白された事件の内容は一人一人微妙に矛盾している。誰が嘘をついているのか、この嘘は無意識なのかわざとか、何を隠しているのか、ということを考えながら読むのがとても楽しかった。

 

『告白』、本当に面白かった、久しぶりに時間を忘れて読みふけった、あまりの面白さに映画版も鑑賞したのだが、その話はまた今度。

 

 

最高な女

私は私を認めてあげたい。

最近、そんな気持ちがいっとう強くなっている。

 

私は小説を書く。そのためにプロットを立てる。ここ最近書いている物語たちに、ある共通点を見つけた。どの作品も「自分を認める」ということがテーマになっているのだ。意図的にそういう展開にしたわけではない。設定が違っても主人公は、自分が憧れていたものは幻想で、自分は自分と向かい合うしかないのだ、ということを強く実感して物語は幕を閉じる。主人公が今までの努力が報われて成功することも、何かしらの成長を遂げることもない。平凡な自分を認めてあげたい、ということを願っているだけだ。

この共通点に気がついて以来、これが私の根底で感じていることなのかもしれないと思うようになった。

 

自分が平凡だと認めることは自分のこれまで積み重ねてきた努力を否定するように感じていた。でも違うのだ。他人と比べるから、平凡、平凡じゃない、才能がある、才能がない、といった言葉に振り回されるのだ。私は私だけの感情を信じたい。好きか、嫌いか、学び続けたいか。以前の私と比べてどう変化したか。

 

私たちは競争社会に放り込まれている。だから、日頃から比べられているから、自分はあの人よりこう、と比べてしまいがちになる。そんな時に自分を認めてあげていたら、そんな他人と比べられた評価なんて気にしなくていい。

自分を自分で追い込まなくていい。私は私を認めてあげたい。

 

比べられることは減らないかもしれないけれど、これは私のための人生だから私が良ければそれでいいの、と言える強さを手に入れた最高な女になりたい。