平穏の片隅

哀しみをかかえて生きていく。

いらっしゃい、春!

 

春を迎えようと思った。

今日の関西は風が強くて、少し寒かった。突然、春を待つのではなくて、迎えにいこうと思った。

 

春のスカートを引っ張り出した。くすんだグリーンの、ロングスカート。30年ほど前、お母さんが独身で、先生になりたてのときに着ていたスカートだ。白いブラウスを合わせると一気に華やいだ。

靴も春仕様にした。

コートもトレンチコートにしちゃおうかなと思ったけれど、やっぱり寒かったのでノーカラーコートを羽織った。

「サクラ」というなまえのチークを少しだけ頬にのせた。

 

帰り道にお花屋さんに寄った。花束以外の、自分用の花を買うのは初めてだった。お店のおばあちゃんに「チューリップなんかどう?一輪でもかわいいわよ」と言われてチューリップを買うことにした。まだ蕾の、柔らかいけど弾けるように明るい太陽のような色の、チューリップだ。蕾が膨らんで花弁が開く姿を想像したら切なくなった。きっと、今以上にかわいい姿なのだろう。

花瓶が家になかったので、家中の容器にチューリップを挿してみて、1番チューリップのかわいさが映える容器を探した。デートの前に、1番似合う服を探してあれこれ着替えをしている気持ちになった。

それから、少し眠った。

 

目がさめると部屋はすっかり春だった。

チューリップが開花する頃、外も春が訪れているだろうか。

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センター試験、報われぬ恋、霜の降りた朝。

 

先日、2018年度の大学入試センター試験が行われた。

職業柄今年のセンター試験問題に目を通したのだが特に古文がとても面白かった。古文の内容を超訳すると以下のようになる。

 

狐が人間の姫君に一目惚れをしてしまう。狐は魅力的な男性に化けて姫君に求婚しようかと思うが、獣と人間が契りを交わすと人間が死んでしまうため、なかなか行動できない。恋い焦がれているうちに心も体も疲れていく。結ばれることのない恋だとわかっているけれどどうしても姫君の顔をみながら生きていきたい。そう思った狐は可愛らしい女の子に化けて侍女として姫君のお世話をするようになる。

狐と姫君は瞬く間に仲良くなっていった。ある日、ふたりでお話をしているときに「私のように想い人がいるのでしょう」という歌を狐が詠んだ。すると姫君は「えっ!恋ですか、誰なのです相手は」などと嬉しそうに言う。

 

 

出題されたのはここまで。『玉水物語』の一節だという。

 

報われない恋をしているすべての者たちの気持ちを代弁しているように感じられた。胸が針で刺されたように痛かった。

 

恋は、頭でわかっていても簡単に諦めることができないのだ。報われない恋でも、どうにかそばにいたいと願ってしまうのだ。相手の悪気ない一言に傷つけられるのだ。相手の幸せを願う気持ちと自分じゃ駄目なのだろうかという気持ちの狭間で引き裂かれそうになるのだ。

……報われない恋もあるのだ。

 

たとえ報われない恋だとしてもいつかは「思い出」になってしまう。あのときの、どうしようもなくて、激しい、切ない、感情を忘れてしまう。それがいいことかはわかんない。

ただ江國香織のこの言葉はすきだなと思う。

 

ボーイフレンドって素敵よね。

いるあいだは楽しいし、いなくなると気持ちいい。

   『流しのしたの骨』

 

 

 

友だちが多ければ

 

私は友だちが少ないので、いい本に出会ったときとか、いいことが起こったときとか、話す相手がほとんどいないのでとても困る。

最近、湊かなえの『告白』を読了したのだけどとてもよかったので感想を聞いてほしい。

 

『告白』をこれまで読まなかったのがすごく勿体無く感じるほど、読む手が止まらなくって、ワクワクしてゾクゾクしてページをめくった。

 

 

『告白』の特に面白かったところは2点にまとめるので、最後まで聞いてほしい、そしてあなたの『告白』の感想もぜひ聞かせてほしい。

 

まず1つ目。犯人が常人とはかけ離れた感情を持っていないところ。

物語は、ある殺人事件について色んな人が「告白」していくことで進んでいく。その中に犯人の告白もあるのだが、この犯人が抱いている感情が共感できるような、ありふれたものなのだ。私たちが抱えているこの寂しさとか切なさとか悲しさとか怒りとか。そういったものが膨らみすぎるとこんなことをしてしまうのかな、「今は」大丈夫なだけで、マイナスの感情に心が満ちてしまうと殺人を犯してしまうかもしれない。殺人は日常の些細な感情の延長線上に起こるんだ、ということが生々しく伝わってくる。そんな遠い存在のような犯人を身近に感じて面白かった。

 

2つ目は、なんが本当で誰が嘘をついているのかわからないところだ。先程述べたようにこの作品は色んな人の告白によって成り立っている。同じ事件を見ていても、それを見ている人間は同じ人間ではない。つまり、フィルター(脳)が一人一人違うということだ。フィルターが異なるということはフィルターを通して各々事件を理解していく、事件の解釈がいくつもあるということを意味する。

だから告白された事件の内容は一人一人微妙に矛盾している。誰が嘘をついているのか、この嘘は無意識なのかわざとか、何を隠しているのか、ということを考えながら読むのがとても楽しかった。

 

『告白』、本当に面白かった、久しぶりに時間を忘れて読みふけった、あまりの面白さに映画版も鑑賞したのだが、その話はまた今度。

 

 

最高な女

私は私を認めてあげたい。

最近、そんな気持ちがいっとう強くなっている。

 

私は小説を書く。そのためにプロットを立てる。ここ最近書いている物語たちに、ある共通点を見つけた。どの作品も「自分を認める」ということがテーマになっているのだ。意図的にそういう展開にしたわけではない。設定が違っても主人公は、自分が憧れていたものは幻想で、自分は自分と向かい合うしかないのだ、ということを強く実感して物語は幕を閉じる。主人公が今までの努力が報われて成功することも、何かしらの成長を遂げることもない。平凡な自分を認めてあげたい、ということを願っているだけだ。

この共通点に気がついて以来、これが私の根底で感じていることなのかもしれないと思うようになった。

 

自分が平凡だと認めることは自分のこれまで積み重ねてきた努力を否定するように感じていた。でも違うのだ。他人と比べるから、平凡、平凡じゃない、才能がある、才能がない、といった言葉に振り回されるのだ。私は私だけの感情を信じたい。好きか、嫌いか、学び続けたいか。以前の私と比べてどう変化したか。

 

私たちは競争社会に放り込まれている。だから、日頃から比べられているから、自分はあの人よりこう、と比べてしまいがちになる。そんな時に自分を認めてあげていたら、そんな他人と比べられた評価なんて気にしなくていい。

自分を自分で追い込まなくていい。私は私を認めてあげたい。

 

比べられることは減らないかもしれないけれど、これは私のための人生だから私が良ければそれでいいの、と言える強さを手に入れた最高な女になりたい。

呪いがとけた日

 

言葉は魔法だ。だから人を呪うことも救うこともできる。

 

私は今年から教員として働いている。

今の職場に勤める前、教員を目指す同期同士で模擬授業を重ねていた。その何回かの模擬授業のひとつで、うまくいかない授業をしてしまったことがある。そのとき授業をしながら、ああ、しっかり事前準備をしたのにこの授業は失敗しちゃったな何がいけなかったんだろうと思っていた。そして授業が終わり、同期たちが口を開いた。追い打ちだった。

 

ーーレベルの低い授業、すっごく残念正直がっかり、面白くない興味が引かれないーー

 

一年以上前に投げつけられた言葉だけどはっきり思い出せる。言葉だけでなく、そのとき教壇からよく見えた、彼らの表情を克明に。

うまくいかず震えたとき手の感覚、エアコンの効きが悪く底冷えした空気。そのときに泣き出さなかったことを、本当に私は私を褒めてあげたい。

もちろん、うまく授業ができなかった私が悪い、わかっている。ただ、彼らが私のために、私のことを思って発した言葉は、私に呪いをかけた。

 

教員として働きはじめてからも時たま授業がうまくいかないときがある。授業準備はしっかりしているのだが、生徒の反応が予想と大幅に違って時間配分がうまくいかなかったり生徒のレベルに合わせきれず難しすぎる内容を取り上げてしまったり……。

そんなとき、私は彼らの呪いの言葉を思い出す。どうしたら生徒が楽しく力をつけてくれるか一生懸命考えて授業をしているけど結局私の授業は残念なんだとやりきれない気持ちが胸を刺す。氷の棘のように冷たく、鋭く。居ても立っても居られなくなって休み時間に更衣室に行ってひっそり涙を流したこともある。

呪いの言葉は強力だ。弱っているときに思い出して何度も何度も頭の中でその言葉を反芻してしまう。

 

だが、そんな呪いを解いてくれた言葉たちもある。授業で、今年一年の振り返りをしたときだ。

ーー今までとは違った国語の面白さを感じることができた、2番目にお気に入りの本に出会えた、難しい言葉のせいでちょっと難しかったけど、評論の内容をおもしろいと思えたーーといった感想を書いてくれた生徒たちがいた。

この言葉たちを目にして、私は鼻の奥がツンと染みた。この言葉たちの写真まで撮った。

呪いは強力で、完全に魔法がとけたかはわからない。私を呪った言葉を思い出すと今でも苦しい。だけど、呪いに負けてはいられないのだ。私を救ってくれた言葉がある。この言葉たちを見て、私は一生懸命してきたことは無駄じゃなかったと思った。一筋の希望が灯った気がした。

 

私はまた来年も教員として働く。

 

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秘密基地

 

小学生の頃、秘密基地作りが流行った。

校庭にある大きなガジュマルの木の上、グラウンドの後ろ、近所の公園の滑り台の下。お昼休みや放課後に誰かに先に使用されないように走っていった。今思えば、みんなと共有の基地だったので秘密基地と言えないのかもしれない。だけど当時は秘密基地に行くとわくわくした。

 

基地ですることといえば友だちとおしゃべりをしたり、本を持っていって読んだり。大したことはしていないのだが、秘密基地でこっそり、私だけの、私しか知らない空間で幸せな時間を独り占めしながら過ごすことが私の心をときめかせた。

 

あの頃は目の前のわくわくに夢中だった。今考えればしょうもない、つまらないとも取れるようなことに夢中だった。それは他人の目を気にしていなかったからだと思う。純粋に、一途に、好きなものに向き合い続けていたからだと思う。

小学校を卒業したあと私は公立の中学校に進んだ。するとあんなに仲良かったクラスメイトたちが「部活」に所属した途端カーストに振り分けられた。私は美術部で、カーストの下層に放り込まれた。そこからだと思う。人の目を気にして好きなものに面と向かって好きと言うのをためらい出したのは。

 

私はあの頃のように好きなものに夢中になって好きだと叫ぶ強さがほしい。

 

 

抱えている虚無感のはなし

 

今年は虚無感を抱えながら過ごした日が多かったように思う。別に死にたいとは思わないけど生きている意味はわからない、別に生きなくていいと感じることが多かった。

でももしかしたらこれははやく自分のことを認めてあげたいの間違いだったのかなと思う。

 

私は自分の顔がかわいくないのを知っている。スタイルがよくないのも賢くないのも天性の才能がないのも。

でも、私はかわいくなりたかったし賢くもなりたかった。届かなかった。だけど、諦めきれなかった。心のどこかで全力を出しきれば今よりもう少しマシになれたのかもしれないという気持ちもあったのだと思う。

私は23歳だけどこのくらいの年齢になると確実に選択しなかった人生がある。あのとき、別の選択をしていたらもう少しマシになれたの?と考えてしまうと今のこの時間が怠惰の延長でしかないように感じられて虚無感を抱いていたのだと思う。

 

私は私のことを認めてあげたい。一生懸命に生きてるよって、今のままでも充分かわいいし賢いよって。

実際、一生懸命感じて、考えて生きてきたんだ。

 

最近は自分のことを認めてあげられるように何度も繰り返し口に出して自分を褒めてあげるようにしている。

今日も一日がんばったよ。