平穏の片隅

哀しみをかかえて生きていく。

正しく生きない

 
とある人(最初、偉い人と書こうと思ったが何を持って偉いとするけどのか、権威があれば偉いのか、偉いの定義がわからなくなったのでとある人とした)が新しい道を歩もうとする私たちにこんな言葉を贈った。

 「多様な生き方が認められるようになったけれどもそのせいで生き方の模範となるべき像がなくなっているように思われる。君たちは正しく生きてほしい。正しい生き方の模範となってほしい」 

正直、愕然とした。どう生きれば「正しい」のか全く明確でない。正しさというものは各々所属する社会によって、個人によって変わるものなのに正しく生きよとはあまりにも解釈に幅のある言い方である。
 それにひとは「正しさ」を武器にするとひとを傷つけることが容易になる。
あまり歴史に明るくはないのだが宗教観や文化の違う者たちを正しい方に導こうとして起きた征服や侵略も多くあったようにおもう。

私も実際、正しさによって傷つけられたことがある。私を傷つけてきた子は、これは正義なのだから悪である私が傷つくのは仕方ないのだと言った。 

そんな曖昧な「正しさ」を、とある人は私たちに求めた。 文脈から判断するとまあ、世の中多くの人から尊敬されるような生き方を正しい生き方と呼んだのだろう。
 ただ、私は正しく生きるのはまっぴらごめんだ。こんなにいとも簡単に変わる定義の上で生きたくない。それに、これは私の人生だ。 誰のためでもない、私の人生。何度も言い聞かせないとそのことをうっかり忘れて人の目が気になってしまう。
私は私のために、私の人生を生きる。